2012/5/22 「柳の家の三人会」にて
2012年5月22日 過ぎ去っていく日々の記録
相変わらず部屋の様相は自分の頭の中のように混乱しているというかとっ散らかっているというか、一度散らかるとそれがそのまま風景になってしまって片づける気がでてこなくなる。やる気がなくなるというのではなく、やることがなくなる感じ。
そんなわけで、モノが多い時には収納家具を買うのではなく、モノを捨てないと片づかないということに最近やっと気がつき、まずは本を捨てようともがいてみる。
と思っていると、なぜかここを「本の整理 1年以上読んでない」という言葉で検索してきた人がいる。なんでこんな言葉でヒットするのかよく分からない。
http://soji.sblo.jp/article/28523974.html
http://blog.goo.ne.jp/r_in_mktg/e/1ff05715ecb27c01f7c106c8597de276
いわゆる「積ん読」状態のまま数年経っている本が40冊くらいあって、「読もうと思って褐炭だから、これらを読まなきゃ」と思う気持ちと、「本屋に行くたびに読みたいと思う本があるけど、でも先に家にある未読の本を片づけないと」と思う気持ちで身動き取れなくなってきたので、ここは未読の本を捨てることにする。
行きつけの図書館のリサイクルコーナーか、近くの郵便局のリサイクルコーナーか、駅までの道の途中にいつも本が置いてあるところか。たぶんアパートの住人が読み終わった本を処分しているんだろうが、持ち帰りやすいように置いてあるので、ここからも時々もらっている。
考えれば(いや考えなくても)5年とは言わず3年読んでいない本でも、これまで読まないでも問題なく過ごしてきたんだから、捨ててもいいことにしよう。
読む気になって買ったけど、そのあと読まなかったということは、結局縁がなかったり、自分には必要なかったと、目に見えない大きな力の巡り合わせでそうなっているということにしよう。
先日図書館で立ち読みした「本の雑誌」で津野海太郎というその筋では有名な編集者が本を処分したときの話を書いている。
編集者にして何冊も本を出しているその筋では有名な人なので、蔵書の量も半端ではなかったと思うが、古本屋を呼んで本棚一段残してあとは全部持って行ってもらったとか。
この先の人生を考えると、もうあんまり置いておく必要もないかもしれない。
まぁそうは思うんだけど。
「柳の家の三人会」と銘打たれた落語会に行ってきた。
落語は久し振りだな、と思ったら、前回は4月14日の柳亭左龍と柳家甚語楼の二人会だった。
http://52048.diarynote.jp/?day=20120414
今回の出演者は、柳家三三、柳家喬太郎、柳家花緑。
柳家三三の師匠は柳家小三治で、その師匠は柳家小さん。
柳家喬太郎の師匠は柳家さん喬で、その師匠は、小さん。
そして、柳家花緑の師匠は、祖父でもある柳家小さん。
柳家小さんを知らないひとの為に、にわか落語ファンが説明しますと、インスタント味噌汁のCMで「うまいねぇ、これでインスタント?」と言っていた人です。
仕事が片づかず、というか、今頃になって2年前からの間違いを見つけてしまい、対応しようかどうしようか考えている内に会社から脱出するのが遅くなってしまった。
柳家三三は、「ろくろっ首」を口演。聞いたことのない話(まぁそんなのばっかりですが)だが、この人の噺はうまいなぁ。噺というか、話だな。語り口(口跡)が鮮やかというか、大変聴きやすく、話に入っていきやすい。
以前鈴本演芸場で「夢金」を聴いたときにも同じ様なことを思ったけれども。
柳家喬太郎は、世間には三三よりも知られているらしい。ラジオもやってるし、BSだけどテレビにも出ているし、芝居にも出たりしている。
この日は「禁酒番屋」を。
話はもちろんうまかったんだけどさぁ。ちょっと残念なことが。
会場が東武東上線大山駅下車の板橋区立文化会館ということで、客層が悪い。
枕のときから話の筋と関係なく拍手をしている奴がいて、顔は見えないところだったんだけれども、鬱陶しい。で、喬太郎が「拍手はいいですから」と言っているそばから拍手する。
「じゃね、こうしましょう、携帯と拍手禁止。拍手はこのあとの花緑師匠のときにしてください」と言っているそばからまた拍手。
さすがに喬太郎師匠は、なんとか黙らせたが、一瞬客席の空気が凍る。んー、そのあとの落語も、きっとうまいんだろうけど今一つだったかな。
そして、柳家花緑。この三人の中では一番早く真打ちになったこと、小さんの最後の直弟子ということで(三三、喬太郎は小さんの孫弟子ということになります)、トリを取る。
この日は、三遊亭竜楽師匠から稽古をつけてもらったという「中村仲蔵」。
なんでも、こういう落語の話にも、柳家の話とか三遊亭の話とかいうのがあるらしく、柳家ではやらない噺だそうです。
とはいえ、歌舞伎の忠臣蔵を知らないとよく分からない噺なので、それなりに説明を付け加えてくれているんだけれども、やっぱりワタシの理解度は今一つ。
こういうところが、落語は聞く側にも教養を必要とする、とか、忍耐を必要とする、と言われる所以なんだろうなぁ。
落語に行くと、噺をきくのは当然ながら、客層が興味深い。ある程度歳のいった人は当然として、若い人がちらほらいる。どういう人が聴きに来るんだろうというのがいつも気になる。
まぁワタシはもう若い人ではなくて、かなり遅れて落語会に行ったりしているわけですが。
河出文庫 や24−1僕が、落語を変える。/柳家花緑/小林照幸
151678
そんなわけで、モノが多い時には収納家具を買うのではなく、モノを捨てないと片づかないということに最近やっと気がつき、まずは本を捨てようともがいてみる。
と思っていると、なぜかここを「本の整理 1年以上読んでない」という言葉で検索してきた人がいる。なんでこんな言葉でヒットするのかよく分からない。
http://soji.sblo.jp/article/28523974.html
http://blog.goo.ne.jp/r_in_mktg/e/1ff05715ecb27c01f7c106c8597de276
いわゆる「積ん読」状態のまま数年経っている本が40冊くらいあって、「読もうと思って褐炭だから、これらを読まなきゃ」と思う気持ちと、「本屋に行くたびに読みたいと思う本があるけど、でも先に家にある未読の本を片づけないと」と思う気持ちで身動き取れなくなってきたので、ここは未読の本を捨てることにする。
行きつけの図書館のリサイクルコーナーか、近くの郵便局のリサイクルコーナーか、駅までの道の途中にいつも本が置いてあるところか。たぶんアパートの住人が読み終わった本を処分しているんだろうが、持ち帰りやすいように置いてあるので、ここからも時々もらっている。
考えれば(いや考えなくても)5年とは言わず3年読んでいない本でも、これまで読まないでも問題なく過ごしてきたんだから、捨ててもいいことにしよう。
読む気になって買ったけど、そのあと読まなかったということは、結局縁がなかったり、自分には必要なかったと、目に見えない大きな力の巡り合わせでそうなっているということにしよう。
先日図書館で立ち読みした「本の雑誌」で津野海太郎というその筋では有名な編集者が本を処分したときの話を書いている。
編集者にして何冊も本を出しているその筋では有名な人なので、蔵書の量も半端ではなかったと思うが、古本屋を呼んで本棚一段残してあとは全部持って行ってもらったとか。
この先の人生を考えると、もうあんまり置いておく必要もないかもしれない。
まぁそうは思うんだけど。
「柳の家の三人会」と銘打たれた落語会に行ってきた。
落語は久し振りだな、と思ったら、前回は4月14日の柳亭左龍と柳家甚語楼の二人会だった。
http://52048.diarynote.jp/?day=20120414
今回の出演者は、柳家三三、柳家喬太郎、柳家花緑。
柳家三三の師匠は柳家小三治で、その師匠は柳家小さん。
柳家喬太郎の師匠は柳家さん喬で、その師匠は、小さん。
そして、柳家花緑の師匠は、祖父でもある柳家小さん。
柳家小さんを知らないひとの為に、にわか落語ファンが説明しますと、インスタント味噌汁のCMで「うまいねぇ、これでインスタント?」と言っていた人です。
仕事が片づかず、というか、今頃になって2年前からの間違いを見つけてしまい、対応しようかどうしようか考えている内に会社から脱出するのが遅くなってしまった。
柳家三三は、「ろくろっ首」を口演。聞いたことのない話(まぁそんなのばっかりですが)だが、この人の噺はうまいなぁ。噺というか、話だな。語り口(口跡)が鮮やかというか、大変聴きやすく、話に入っていきやすい。
以前鈴本演芸場で「夢金」を聴いたときにも同じ様なことを思ったけれども。
柳家喬太郎は、世間には三三よりも知られているらしい。ラジオもやってるし、BSだけどテレビにも出ているし、芝居にも出たりしている。
この日は「禁酒番屋」を。
話はもちろんうまかったんだけどさぁ。ちょっと残念なことが。
会場が東武東上線大山駅下車の板橋区立文化会館ということで、客層が悪い。
枕のときから話の筋と関係なく拍手をしている奴がいて、顔は見えないところだったんだけれども、鬱陶しい。で、喬太郎が「拍手はいいですから」と言っているそばから拍手する。
「じゃね、こうしましょう、携帯と拍手禁止。拍手はこのあとの花緑師匠のときにしてください」と言っているそばからまた拍手。
さすがに喬太郎師匠は、なんとか黙らせたが、一瞬客席の空気が凍る。んー、そのあとの落語も、きっとうまいんだろうけど今一つだったかな。
そして、柳家花緑。この三人の中では一番早く真打ちになったこと、小さんの最後の直弟子ということで(三三、喬太郎は小さんの孫弟子ということになります)、トリを取る。
この日は、三遊亭竜楽師匠から稽古をつけてもらったという「中村仲蔵」。
なんでも、こういう落語の話にも、柳家の話とか三遊亭の話とかいうのがあるらしく、柳家ではやらない噺だそうです。
とはいえ、歌舞伎の忠臣蔵を知らないとよく分からない噺なので、それなりに説明を付け加えてくれているんだけれども、やっぱりワタシの理解度は今一つ。
こういうところが、落語は聞く側にも教養を必要とする、とか、忍耐を必要とする、と言われる所以なんだろうなぁ。
落語に行くと、噺をきくのは当然ながら、客層が興味深い。ある程度歳のいった人は当然として、若い人がちらほらいる。どういう人が聴きに来るんだろうというのがいつも気になる。
まぁワタシはもう若い人ではなくて、かなり遅れて落語会に行ったりしているわけですが。
河出文庫 や24−1僕が、落語を変える。/柳家花緑/小林照幸
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