富士モータースは、かつて目黒区鷹番に存在した自動車関連企業である。
目黒通りの上り側で、修理工場とガソリンスタンドを経営していた。
修理工場は、(多分)いわゆる民間車検場というやつで、日産のクルマを扱っていた。修理だけではなく、販売もしていた、ようだ。
ガソリンスタンドは出光で、ガソリン、軽油、灯油を扱っていた。
社長は北条馨という人で、二代目だという話だった。
事務所は修理工場の二階にあり、社長と木津さんという専務、名前忘れた事務のおばさん、というよりおばあさんといった方が似合う女性がいた。

木津さんは中学卒で、努力の結果、この会社の専務になったということだった。

事務のおばさんは、十条だか赤羽だか、そっちの方から通ってきていた。
会社の最寄り駅は東横線の学芸大学だが、駅から遠いので、駅から会社まで自転車で来ていて、毎日同じ時刻にタイムカードを打刻していた。

ガソリンスタンドは、岡崎さんという、当時はおじさんに思えたが、今の私よりもずっと若い人が働いていた。

修理工場は、北条さんという、社長とは同姓のおじさん、名前忘れた若い人が働いていた。この若い人は茨城出身なのは訛りでわかった。
普段は物静かだが、日産のスカイラインだかなんだかに乗っていて、かなり飛ばすと岡崎さんから聞いた。

ガソリンスタンドは常にアルバイトを募集していた。
なにしろ岡崎さんが一人で仕切っていたのだ。
ガソリンスタンドは朝、午前中が忙しく、午後は遊びみたいなもんだ、と岡崎さんは言っていた。

午前中は人手が足りないので整備の北条さんや社長が手伝っていたらしい。
ガソリンスタンドというのは通りすがりで入れていく客もあるが、ここのスタンドの場合、整備工場をやっていることもあるのか、常連というか定期客が多かった。
中でも多かったのは、通りの向かいにあった大角という生コンの会社のコンクリートミキサー車である。
何十台とあり、当然掛け買いである。

トラックやダンプは、自前のクルマで個人事業主として商売している人もいる。当然、燃料費などの経費は自分持ちなので、節約したい人は軽油ではなく灯油を入れる人がいた。
ディーゼルエンジンは灯油でも動くのだが、コレ、本当は法律違反なのだ。だから通りからは見えないように角度を考えて給油していた。

そんな富士モータースは今はもうない。
何があったのかしらないが経営が立ち行かなくなり、自己破産を申請した。

修理工場もガソリンスタンドも、今はマンションになっている。

田園都市線沿線のマンションに住んでいた社長も、きっと個人保証をしていたのだろうから、マンションも失ったのだろう。
いまはどこでどうしているのだろうか。


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コメント

三代目店主
2021年2月21日19:55

読んでいて、もう自分の人生も残り少ないよなぁと、改めて感じました。
いいきっかけをもらったので、昔の思い出話など書いていこうかなぁと考えています。

権之助
2021年2月22日0:45

あ、そうですか。なんかお役に立てたようで・・・

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