この本の著者は、ほかにも興味深い本を続々と上梓しているのだが、それはちょっと置いといて。

この間、中央大学理工学部の教授が学内で教え子に刃物で刺されて殺された、という事件がありましたね。
数年前には、飛行機をハイジャックして、やはり機長を刺殺した、という事件もありました。

どちらの事件の犯人も、著者言うところの「準引きこもり」だったのではないか、と思うわけです。

中央大学の事件の犯人は、大学院まで進み、そのまま研究者への道を進みたいと思っていたけど、教授は「学会などで発表が多く、彼には向いていない」と判断して就職を強く勧めた。

ハイジャック犯は、一橋大学という、かつて私が落ちた大学(うそです)を卒業しながらも希望の就職先に進めず、不本意ながらJR貨物に就職した。それだってまずまずの進路で、そのまま勤めていれば一生安泰、お見合いしてもO-net(http://onet.jp/)に申し込んでもそれなりにちゃんとした家庭のお嬢さんから「会ってみたい」と思われるくらいのスペックといえる。

しかし、思うに、二人とも、学生時代はあまり友達がおらず、大学行って授業受けて帰ってくるだけのような生活だったのではないか、と思う。

大学というのは面白いところで(私の行っていた所はとてつもなくつまらなかったですが)、高校までのようなクラスが基本的にない。語学と体育の時に一緒になる人たちか、サークルなどの仲間くらいしか友達になるところがない。
その気になれば、誰とも口をきかずに学校行って帰ってくることもできる。
それはそれで問題なのだが、学内では顕在化しない。顕在化するのは就職活動を始めるとき、または始める前。
あるものはまったく就職活動をしない。危機感を口にしたり、行動を起こすことを言ったりするが、結局何もしない。
それはなぜか。彼らは準引きこもりだからである。

図書館で借りて、大変興味深く読みました。


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コメント

浜乙女(箱推し)
2009年12月21日10:01

この人の講演を聴いたことありますが、「準引きこ森だから社会に適応できない」と断じて言いっぱなしって態度が優しくないなぁ」と感じました。友達が多いこと、社会性があることが絶対なんでしょうかね?

権之助
2009年12月22日12:24

あとがきで「自分も準ひきこ森だった」と言ってますから、他人事とは思えないんでしょうか。改善に向けての提案ができないのは、まだそこまで研究していないからでしょう。優しくないのは、ほかの著書からも感じますね。諸富祥彦とのちがいはそこでしょうか。

友達が多くて社会性があるのは、どちらもないワタシにとってはうらやましいですね。絶対とはいいませんが、あるにこしたことはないし、あったほうが実り多い人生がおくれると思います。

地元だと講演やったりしてるんですね。

浜乙女(箱推し)
2009年12月23日17:12

ならざるを得ない人と単なるグータラな人を一緒くたにした上で「準ひきこ森から俺もがけ出たのだから、お前も抜け出ろ」と言い切るところも乱暴ですな(笑)。
まぁ友人が多いに越したことはないですが、友達がいないと嘆いて下向いて生きるよか、受け入れてのほほんと生きる方が実り多い人生がおくれると思います。

権之助
2009年12月24日0:43

ネーミングはよかった(と本人は思っている)けど、学術的には今一つなところが、課題でしょうね。
ワタシの場合は、友達を作るのがヘタクソで、関係が続かないところに、自分自身の問題を感じているわけで・・・
ま、そんな話をするのもアレなので。

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