富山へ行ってきた(その二)
2007年9月5日 過ぎ去っていく日々の記録
実は天気は余りよくなくて、ときどき雨が降ってくる。と思うと止んで、晴れ間がさす。暑いと思ってタオルを余分に持ってきたので、別に降ってもかまわないんだが。
地方鉄道(市内では「市電」と呼ばれるとか)の一日乗車券を徹底活用し、行ったり来たり、一駅でおりてみたり、次の電車に乗ってみたり。南富山駅前から地鉄ビル前までをうろうろと。
あー、もうここには一生来ないだろうなぁ、と思いながら街中を眺める。
かつて「電波少年」で朋友やドロンズや猿岩石が世界中を旅行していたが、あれを見ながら思ったことでもある。
彼らがこうやってめちゃくちゃしんどい思いしながら旅をしているが、そこを歩くことは多分彼らの一生で二度とないだろう。
彼らの目に映るその風景も、ブラウン管を通して目にする我々も、それは多分人生の中で一回こっきりのものだ。
朋友だったと思うが、ヒッチハイクでトラックに乗ることができて、流れていく風景を彼らがみていたときに、強烈に思った。
疲れ果てた彼らにとって、目の前の風景はただ流れていくだけだけれども、その風景を彼らが見ることは二度とない。
ん?わかりにくいですか?
閑話休題。
で、なぜか銭湯がよく目につく。電車からみていても3軒くらいはあった気が。で、そのうち電車通り沿いの一軒は休日らしく、一本奥に入った銭湯が営業中だったので、入ってみる。
なぜか私は銭湯と映画館が好きである。どちらも、天井が高くて広い空間というのが共通点。そういや、屋内プールも好きだな。
汗かいてベタベタだったしに入る。カルストーンサウナとかいうのがあり、これがなかなか気持ちいい。汗は出るけど呼吸は苦しくならない。
風呂上がりはさっぱり。まだ明るいうちの銭湯って気持ちいい。
それまでは電車通りを歩いていたが、一本裏の通りを歩いてみる。ここらへんは、住宅街らしい。細い道でも、中央に噴水の吹き出し口があるのが、冬の雪深さを想像させる。
本当は商店街もぶらぶらしたかったのだが、時間がなくなってしまって諦める。富山大和が閉店とかいうのでセール中だったのだが。
このデパートがまた壮大な建物で、入ってみたかったのだが。
そろそろ空港行きのバスの時間なので、駅に戻る。とはいえ、まだバスはきていない。本屋にでも行くか、と思うが、どこにあるのかわからない。田舎者はこういうときに困る。
どこかにでかけたときには、大抵本屋による。タウン誌(「タウン情報××」)というのがあると、大抵買う。その地元の出版社が出している本の中に意外な拾い物があることがよくあるし、その地域のガイドブックは、地元の本屋が一番充実している。
タウン誌をみると、その地元で暮らしている人がでていることがよくある。あー、こうやって地方に根付いて暮らしている人が一番強いよなぁ、と思う。
そこにいくと、私みたいなサラリーマンなんか、無残なものである。ちょっと役に立たないとすぐに首だし。
あ、無残なのはサラリーマンではなくて、私みたいな奴か。そうか、残念。
駅前にぼーっと立ち尽くし、行き交う人々を眺める。仕事帰りのOLとおぼしき人たち、学校帰りの女子高生、などなど(女性しかみていない)。
あの人たちにとっては、今日と言う日は昨日の続きで、特に取り立てていうこともなく、あとになって思い出すこともない、どうということのない日だろう。
ワタシにとっては、変な言い方だが、一生に一度だけの日だ。
普段、会社勤めして家と会社の往復をしていると言う意味では、昨日も今日も変わりはない。
でも、富山に行った今日のことはその日付とともに、この先何年経っても覚えているだろう。いや、最近物忘れ激しいんで忘れるかもしれないが。
で、なにが言いたいかというと、人の営みというのは、毎日毎日平凡に過ぎていくようでありながら、その毎日毎日を凡庸に繰り返すことこそが大事なのだということ。
だと思うんだけどねぇ。
そんなことを思っていると、バスが来ていた。小雨ぱらつく中、富山空港行きのバスに乗るが、この時には、その後の悲惨な運命には、気づくよしもなかった・・・・・・・
続きます。
写真は、富山中央郵便局に行く途中に見つけた、紳士服屋の看板。
カウンタ42437
地方鉄道(市内では「市電」と呼ばれるとか)の一日乗車券を徹底活用し、行ったり来たり、一駅でおりてみたり、次の電車に乗ってみたり。南富山駅前から地鉄ビル前までをうろうろと。
あー、もうここには一生来ないだろうなぁ、と思いながら街中を眺める。
かつて「電波少年」で朋友やドロンズや猿岩石が世界中を旅行していたが、あれを見ながら思ったことでもある。
彼らがこうやってめちゃくちゃしんどい思いしながら旅をしているが、そこを歩くことは多分彼らの一生で二度とないだろう。
彼らの目に映るその風景も、ブラウン管を通して目にする我々も、それは多分人生の中で一回こっきりのものだ。
朋友だったと思うが、ヒッチハイクでトラックに乗ることができて、流れていく風景を彼らがみていたときに、強烈に思った。
疲れ果てた彼らにとって、目の前の風景はただ流れていくだけだけれども、その風景を彼らが見ることは二度とない。
ん?わかりにくいですか?
閑話休題。
で、なぜか銭湯がよく目につく。電車からみていても3軒くらいはあった気が。で、そのうち電車通り沿いの一軒は休日らしく、一本奥に入った銭湯が営業中だったので、入ってみる。
なぜか私は銭湯と映画館が好きである。どちらも、天井が高くて広い空間というのが共通点。そういや、屋内プールも好きだな。
汗かいてベタベタだったしに入る。カルストーンサウナとかいうのがあり、これがなかなか気持ちいい。汗は出るけど呼吸は苦しくならない。
風呂上がりはさっぱり。まだ明るいうちの銭湯って気持ちいい。
それまでは電車通りを歩いていたが、一本裏の通りを歩いてみる。ここらへんは、住宅街らしい。細い道でも、中央に噴水の吹き出し口があるのが、冬の雪深さを想像させる。
本当は商店街もぶらぶらしたかったのだが、時間がなくなってしまって諦める。富山大和が閉店とかいうのでセール中だったのだが。
このデパートがまた壮大な建物で、入ってみたかったのだが。
そろそろ空港行きのバスの時間なので、駅に戻る。とはいえ、まだバスはきていない。本屋にでも行くか、と思うが、どこにあるのかわからない。田舎者はこういうときに困る。
どこかにでかけたときには、大抵本屋による。タウン誌(「タウン情報××」)というのがあると、大抵買う。その地元の出版社が出している本の中に意外な拾い物があることがよくあるし、その地域のガイドブックは、地元の本屋が一番充実している。
タウン誌をみると、その地元で暮らしている人がでていることがよくある。あー、こうやって地方に根付いて暮らしている人が一番強いよなぁ、と思う。
そこにいくと、私みたいなサラリーマンなんか、無残なものである。ちょっと役に立たないとすぐに首だし。
あ、無残なのはサラリーマンではなくて、私みたいな奴か。そうか、残念。
駅前にぼーっと立ち尽くし、行き交う人々を眺める。仕事帰りのOLとおぼしき人たち、学校帰りの女子高生、などなど(女性しかみていない)。
あの人たちにとっては、今日と言う日は昨日の続きで、特に取り立てていうこともなく、あとになって思い出すこともない、どうということのない日だろう。
ワタシにとっては、変な言い方だが、一生に一度だけの日だ。
普段、会社勤めして家と会社の往復をしていると言う意味では、昨日も今日も変わりはない。
でも、富山に行った今日のことはその日付とともに、この先何年経っても覚えているだろう。いや、最近物忘れ激しいんで忘れるかもしれないが。
で、なにが言いたいかというと、人の営みというのは、毎日毎日平凡に過ぎていくようでありながら、その毎日毎日を凡庸に繰り返すことこそが大事なのだということ。
だと思うんだけどねぇ。
そんなことを思っていると、バスが来ていた。小雨ぱらつく中、富山空港行きのバスに乗るが、この時には、その後の悲惨な運命には、気づくよしもなかった・・・・・・・
続きます。
写真は、富山中央郵便局に行く途中に見つけた、紳士服屋の看板。
カウンタ42437
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