wikipediaの「チーム青森」の項目がエライことになっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%9D%92%E6%A3%AE

チーム青森
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
削除依頼中

このページは削除の方針に従い、削除依頼に出されています。削除についての議論は削除依頼サブページを見るかこのページのノートを参照してください。
保護:このページ、「チーム青森」は編集合戦などの理由で編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。今の内容は正しいとは限りません。このページの編集を中断して、ノートで議論を行い合意を形成してください。合意が形成された場合は保護解除依頼で保護の解除を依頼してください。
チーム青森(-あおもり)は、青森県カーリング協会に所属する女子カーリングチームで、2006年に行われたトリノオリンピックのカーリング日本代表チーム。

目次 [非表示]
1 略歴
2 確執
3 選手
4 戦歴


略歴
ソルトレークオリンピック出場の後、所属チーム「シムソンズ」の解散を経て青森市文化スポーツ振興公社の嘱託職員としてカーリングの指導にあたっていた小野寺歩・林弓枝と、ジュニア時代には北海道南富良野町のチーム「空知こざくら」で活躍し、高校卒業後青森県の大学に進学した目黒萌絵・寺田桜子の4人により、2003年、カーリングチーム「フォルティウス」(ラテン語で「より強く」の意、五輪標語の一部)が結成され、そのシーズンの日本選手権に優勝した。

その後、世界選手権出場を見据えて、小野寺・林の故郷北海道常呂町でジュニア選手として活躍していた本橋麻里をチームに招き入れ、翌2004年のパシフィック選手権に優勝、世界選手権の出場権と日本のトリノオリンピック出場枠を獲得、同時にチームも五輪代表の内定を得た。

しかし、「青森県協会」名で出場した2005年の日本選手権ではスキップ目黒が故障のため出場できず、「チーム土屋」(後のチーム長野)に予選ラウンドと決勝戦で連敗した。そのため、日本カーリング協会(JCA)が協議の結果、「代表決定戦を行い、チーム青森が1勝すればチーム青森に代表権を、チーム長野が2勝すればチーム長野に代表権を与える」ということになった。

2005年11月に常呂町で行われた代表決定戦の第1戦に勝利し、トリノオリンピック代表となる。

トリノオリンピックでは4戦を終えて1勝3敗とほぼ絶望的な状態であったが、劇的な試合運びで強豪カナダを破って勢いをつけ、スウェーデンには負けはしたものの延長戦までもつれこむ死闘を演じて見せた。前回のソルトレークオリンピックを制したイギリス、そしてイタリア戦に勝って4勝4敗とし、準決勝進出の可能性を残して迎えたスイス戦では、いったん5点差まで引き離されながら、第7エンドに2点差にまで追いつく粘り強さを発揮したが、第9エンド前にギブアップ負け。彼女たちのトリノオリンピックは終止符を打った。

しかし、この5人の選手のひたむきな姿は、小林宏の丁寧な解説とともにカーリングのスポーツとしての面白さを日本の多くの視聴者に伝えることとなった。その余波を受け、同年3月に青森で行われた日本選手権では、かつてないほどの世間・マスコミの注目を集めて臨むことになった。トリノ五輪の後練習期間を十分に取れなかった影響もあり、予選ラウンドロビンでは小野寺歩・林弓枝の母校で後輩に当たるジュニア年代のチーム常呂中学校に敗れるなど2敗を喫する。しかしオリンピックと同様大会中に調子を上げ、ラウンドロビンは1位で通過する。決勝トーナメントではまず準決勝で、ラウンドロビンを2位で通過した常呂中に雪辱し、決勝ではライバルのチーム長野にラウンドロビン・タイブレークに続く3度目の勝利を挙げて、2年ぶりの日本選手権優勝を果たし、2006年秋に開催されるパシフィック選手権の出場権を獲得した。

ちなみにトリノオリンピック前のカーリング日本選手権での観客者数が100名程度だったが、トリノオリンピック後のカーリング日本選手権の観客者数は千人を超え、入場者制限を行うほどの人気であった。

確執
トリノオリンピックの後半では小野寺歩と本橋麻里の意見があわないことが多くなるなど、チーム内に不協和音が響くようになった。特に最終のスイス戦で10エンドを行わずにギブアップした小野寺に本橋は激怒した。そのために大会後にさまざまな手を使い、小野寺をチームから追放(表向きには結婚が理由とされる)した。



選手
メンバーは2005-2006年シーズン時点のものである。

小野寺歩 (右利き:サード→スキップ)
林弓枝 (右利き:スキップ→サード)
目黒萌絵 (左利き:リード→スキップ→リード)
寺田桜子 (右利き:セカンド→リード→リザーブ)
本橋麻里 (右利き:リザーブ→セカンド)
2006年3月21日の時点で、目黒、寺田、本橋の3人は現役を続行してバンクーバーオリンピックを目指す意思を示したが、小野寺と林は勤務している青森市文化スポーツ振興公社を退職し、北海道に帰郷することを明らかにし去就が白紙であるため、来シーズンは以下の布陣で国際大会に臨まない可能性がある。 本橋はタレント転向を考えていたが、荒川静香の金メダルでチームへの注目度が大きく下がってしまい、かなわぬ夢となった。

戦歴
2003年-2004年シーズン
日本カーリング選手権:優勝
2004年-2005年シーズン
パシフィックカーリング選手権:優勝
軽井沢国際カーリング競技大会:優勝
日本カーリング選手権:2位
世界女子カーリング選手権:9位
2005年-2006年シーズン
トリノオリンピック代表選考会:第1戦で5-2でチーム長野に勝利、トリノ五輪代表決定
トリノオリンピック:7位
日本カーリング選手権:優勝

コメント

nophoto
ニックネーム無し
2006年5月2日21:13

確かに本橋さんはあと最低1エンド、つまり9エンドまでは試合をしたかったようですが、小野寺さんとの確執までは全くいっていません。まあこんなコメントしなくても皆さん分かってるとは思いますが、念のため。

権之助
2013年12月14日0:02

なーにが念のためだ、お前の言うことなんか誰も聞いてないよ、このアホ

お気に入り日記の更新

日記内を検索