2016/9/26 岡田一成はどこへ。
2016年9月27日 過ぎ去っていく日々の記録おおぉ、いつの間にか249000件。でも、とある知り合いのブロガーは100万件超えてるもんなぁ。一日1000件くらいざらだそうです。まぁ私とは書いてることが違うから。
岡田一成は、東京は押上の出身。今は東京スカイツリーのお膝元というか足元というか地元だけど、考えてみれば当時も今も、「押上」という地名はいま一つメジャーではない。スカイツリー開業で駅名も変わってしまったし。
さてそんな岡田一成は、二浪の末、誰でも入れる場末の大学に入学したものの、実家が貧乏農家ということで、授業に出ずに毎日アルバイトに明け暮れていました。どのくらいかというと、よく分からないが、毎日毎日、当時あった「アルバイトニュース」を常に小脇に抱え、赤鉛筆で印をつけているのが常でした。これではよくわからないか。
コイツ(すでにコイツ呼ばわり)のよく分からないところは、1日~1週間程度の短期アルバイトばかりをやっているところ。何が彼をそうさせたのかよく分からないが、1カ月以上同じ所で働くような長期アルバイトには手を出さず、1日、3日、せいぜい1週間程度のアルバイトばかりをやっていて、いつも次の働き口を探していた。
そんな岡田一成にある日声をかけられる。
「おい、勅使河原(私のこと)、ちょっと頼みがあるんだけど」
「俺のアルバイト料を取りにいってくれないか。」
は?
「今××というアルバイトをしていて、取りにいけないので、■■駅から歩いて10分の▲▲という所に行ってくれ」
いまなら「何言ってんだコイツ」と思い、「いや、断る、自分で行ってくれ、お前のアルバイト料なんか知らん」と本人のいないところならいくらでも言えるところだが、私は今も当時も世間知らずのお人好しなので、頼まれるままにホイホイと、当時学芸大学駅の近くにあった、ベルンというお菓子メーカーの事務所に行くと、なんか知らないが会議中か打ち合わせ中で、「岡田一成のアルバイト料を受け取りに来ました」というと、当然ながら大人の皆さんのうち、なんか怖そうな人が応対して、困った顔をしながら、総務か経理か人事かどっかに取り次いでくれて、アルバイト料を受け取る。
そのアルバイト料を持ちにげ、するほど度胸はなく、手数料で一割抜くほど気も利かず、満額渡してあげて、お礼は「ありがとう」の一言だった。
かれはその後2,3年ほど、短期アルバイトばかりを渡り歩く生活をしたあと、魚河岸のそばにある某新聞社の原稿係(という名の雑用係)のアルバイトを見つけ、熱心に働くものの、家に帰らないでアルバイトしているうちに学費の支払い期限が過ぎ、(金銭的に)やっとの思いではいった、どうってことない大学をあっさり除籍になる。
復学しようとすると、当時の聴講生になって何十単位かとらなければならない。最初はまじめに聴講生になっていたが、なにしろ聴講生は金がかかる。1単位数千円で、年間通しでやる科目は4単位なので、確か24000円だか28000円だかかかる。
毎日アルバイトばかりしなければ、通学どころか生活できなかった彼にとっては、そんな金と時間ばかりかかることには手が回らなくなり、いつしかフェードアウトしていった。
facebook見ても、同姓同名のイケメンは出てくるが、彼は私以上に破壊的な顔をしておりどう考えても持てるどころか女性とは縁のなさそうな顔なのだが、しかしある日アポなしでアパート行ったらドアを開けてくれず、そのときには「友達が来ている」と言っていたがそんなもん女に違いない。
人を見る目がある女性だったのか、誰でもよかったのか。
とにかく、岡田一成にはもう二度と会いたくないのと、いまどんな生活をしているのか気になる気もする。
羽田空港でベルンのお菓子を見るたび、岡田一成を思い出すが、アルバイト料を取りにいかせられた馬鹿馬鹿しさは、逢ってぶん殴るまで忘れられないのである。
今頃になって腹が立つよね。
いくら暇だったとはいえ、ボランティアでアルバイト料取りにいってやるなんて、どんだけお人好しだったんだという。
断ることを覚えないと、こうなるって見本ですな。
249002
岡田一成は、東京は押上の出身。今は東京スカイツリーのお膝元というか足元というか地元だけど、考えてみれば当時も今も、「押上」という地名はいま一つメジャーではない。スカイツリー開業で駅名も変わってしまったし。
さてそんな岡田一成は、二浪の末、誰でも入れる場末の大学に入学したものの、実家が貧乏農家ということで、授業に出ずに毎日アルバイトに明け暮れていました。どのくらいかというと、よく分からないが、毎日毎日、当時あった「アルバイトニュース」を常に小脇に抱え、赤鉛筆で印をつけているのが常でした。これではよくわからないか。
コイツ(すでにコイツ呼ばわり)のよく分からないところは、1日~1週間程度の短期アルバイトばかりをやっているところ。何が彼をそうさせたのかよく分からないが、1カ月以上同じ所で働くような長期アルバイトには手を出さず、1日、3日、せいぜい1週間程度のアルバイトばかりをやっていて、いつも次の働き口を探していた。
そんな岡田一成にある日声をかけられる。
「おい、勅使河原(私のこと)、ちょっと頼みがあるんだけど」
「俺のアルバイト料を取りにいってくれないか。」
は?
「今××というアルバイトをしていて、取りにいけないので、■■駅から歩いて10分の▲▲という所に行ってくれ」
いまなら「何言ってんだコイツ」と思い、「いや、断る、自分で行ってくれ、お前のアルバイト料なんか知らん」と本人のいないところならいくらでも言えるところだが、私は今も当時も世間知らずのお人好しなので、頼まれるままにホイホイと、当時学芸大学駅の近くにあった、ベルンというお菓子メーカーの事務所に行くと、なんか知らないが会議中か打ち合わせ中で、「岡田一成のアルバイト料を受け取りに来ました」というと、当然ながら大人の皆さんのうち、なんか怖そうな人が応対して、困った顔をしながら、総務か経理か人事かどっかに取り次いでくれて、アルバイト料を受け取る。
そのアルバイト料を持ちにげ、するほど度胸はなく、手数料で一割抜くほど気も利かず、満額渡してあげて、お礼は「ありがとう」の一言だった。
かれはその後2,3年ほど、短期アルバイトばかりを渡り歩く生活をしたあと、魚河岸のそばにある某新聞社の原稿係(という名の雑用係)のアルバイトを見つけ、熱心に働くものの、家に帰らないでアルバイトしているうちに学費の支払い期限が過ぎ、(金銭的に)やっとの思いではいった、どうってことない大学をあっさり除籍になる。
復学しようとすると、当時の聴講生になって何十単位かとらなければならない。最初はまじめに聴講生になっていたが、なにしろ聴講生は金がかかる。1単位数千円で、年間通しでやる科目は4単位なので、確か24000円だか28000円だかかかる。
毎日アルバイトばかりしなければ、通学どころか生活できなかった彼にとっては、そんな金と時間ばかりかかることには手が回らなくなり、いつしかフェードアウトしていった。
facebook見ても、同姓同名のイケメンは出てくるが、彼は私以上に破壊的な顔をしておりどう考えても持てるどころか女性とは縁のなさそうな顔なのだが、しかしある日アポなしでアパート行ったらドアを開けてくれず、そのときには「友達が来ている」と言っていたがそんなもん女に違いない。
人を見る目がある女性だったのか、誰でもよかったのか。
とにかく、岡田一成にはもう二度と会いたくないのと、いまどんな生活をしているのか気になる気もする。
羽田空港でベルンのお菓子を見るたび、岡田一成を思い出すが、アルバイト料を取りにいかせられた馬鹿馬鹿しさは、逢ってぶん殴るまで忘れられないのである。
今頃になって腹が立つよね。
いくら暇だったとはいえ、ボランティアでアルバイト料取りにいってやるなんて、どんだけお人好しだったんだという。
断ることを覚えないと、こうなるって見本ですな。
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