2014/1/2 流星ひとつ
2014年1月2日 読書
明けましておめでとうございます。
年末年始が休めるようになってから早6年目の正月ですが、それ以前には行かなくてもすんだところに行かなくてはならず、毎年毎年、残念というかなんというか。
年末、ほかにもっと有効な時間の使い方を考えつかずに出かけたら、道端で拾ったので(本当)、ずっと読んでました。
北海道の極貧の旅芸人(ちょっと違うか)の両親の元で育ち、シジミの味噌汁がご馳走だったというのをどっかで聞いたけど、そのことはあまり語られず。母親は盲人だったのね。
前川清と離婚した後、引退する前の1979年秋のインタビュー。
当時の芸能ゴシップには詳しくないのだけど、人となりが表れていて、かつ、当時の沢木耕太郎が目指していた新しい形のノンフィクションとなっている、んだろうなぁ、多分。
そういや、沢木耕太郎の新刊を読まなくなって久しい。既に亡くなってしまった大学の同級生が教えてくれて、一時はずい分読んだつもりだったけど。
3月になったら、また千葉の奥地の墓まで行ってこようか。
いや、いかん、なんで正月早々こんなクライハナシを。こんなつもりじゃなかったんだが。
212858
年末年始が休めるようになってから早6年目の正月ですが、それ以前には行かなくてもすんだところに行かなくてはならず、毎年毎年、残念というかなんというか。
年末、ほかにもっと有効な時間の使い方を考えつかずに出かけたら、道端で拾ったので(本当)、ずっと読んでました。
北海道の極貧の旅芸人(ちょっと違うか)の両親の元で育ち、シジミの味噌汁がご馳走だったというのをどっかで聞いたけど、そのことはあまり語られず。母親は盲人だったのね。
前川清と離婚した後、引退する前の1979年秋のインタビュー。
当時の芸能ゴシップには詳しくないのだけど、人となりが表れていて、かつ、当時の沢木耕太郎が目指していた新しい形のノンフィクションとなっている、んだろうなぁ、多分。
そういや、沢木耕太郎の新刊を読まなくなって久しい。既に亡くなってしまった大学の同級生が教えてくれて、一時はずい分読んだつもりだったけど。
3月になったら、また千葉の奥地の墓まで行ってこようか。
いや、いかん、なんで正月早々こんなクライハナシを。こんなつもりじゃなかったんだが。
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