この間閉店した書店が、多分去年だったと思うけど、フェアをやっていて、ふと目について買った。丁度、でもないが、震災による原発事故の記憶も生々しいころ。

茨城県の東海村というと、こちらでは原子力施設でよく知られているが、そこにあった核燃料加工施設JCOで1999年に起こった、臨界被爆事故で亡くなった人の、事故から亡くなるまでがNHKスペシャルになってたらしいんだが、その取材した記者による記録。

事故の時は、何をやっていたのか正直覚えていませんが、連日容態が報道されていて、亡くなったことは知っていた。

このとき、8シーベルトの被爆をしたらしい。8シーベルトの致死率は100パーセントであるそうだ。そんななか、被爆直後は特に変わった様子もなく、会話もしていたのに、染色体検査をしたらすべての染色体が破壊されていたり、皮膚も再生しなくなって表皮が現れて激痛が走り、妹の幹細胞を移植して一時は快方に向かうかと見えたが・・・・

この事故で亡くなったのは一人だとばっかり思っていたが、同時に作業していたもう一人も亡くなっていたとは知らなかった。

なんでこんな事故が起こったのか、というと、きちんと定められたマニュアルとは別に裏マニュアルが作られていたのだが、その裏マニュアルにさえ従わない手順で作業をしていたことが原因と思われる。

数年前の夏に、プールで小学生の女の子が排水口のふたが外れていたところから吸い込まれて亡くなるという事故があったが(プールの排水口の事故って毎年起こる)、あれも、自治体所有のプールが、運営は民間に任され、安全管理がなされていなかったからなのだが、実際の原因は金網をきちんと留めていなかった、というほんとうに小さなことだった。

アルバイトでも誰でも、外れていることに気がついて「オカシイ」と思えば防げた事故だったと思う。

とまぁこのように作業手順とマニュアルを守ることはとても大事、ということを言いたいわけではなかったのだが、なんでこんな話になったんだ?


朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

197254

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