あ、いけねぇ昨日の日記で、19日とすべきところ、21日のまんま書いちまった。しょうがねぇか。
さて。
体調イマイチだなぁ、と思いながらも朝5時半に起き、必死の思いで歯を磨いて何も食わずに出かける。
全国競輪行脚の旅、というか、要は全国にある競輪場を全部回ってみたい、という無駄かつバカなことを考えてから早幾星霜。
当時は50場あった競輪場も、門司、甲子園、西宮、花月園、大津びわこと閉鎖され、今は45場になっている。ほかにも広島とか閉鎖の話も出ていたりする。
まぁそりゃそうだ。地方自治財政に寄与するために公営ギャンブルがあるので、持ち出しになるようでは意味がない。
行くたびに思うが、どこに行っても年寄りばかりが目につく。60、70の年寄りか、障害者年金もらっているような人(車椅子に乗ってたり)がメインの客層。関東近郊では、まだ昼間でも人はいるが、しかしそういう人たちは何をやっているんだろう、と思う。
それはともかく。
記録をみると、競輪場に行き始めた頃から4年で23場回っている。ところがその後がっくりとペースが落ち、次に行くまで6年間あいている。原因はわかっているのだ。当時の職場はシフト制で、翌月の勤務が当月の末にならないと決まらず、遠出しようにもスケジュールが立てにくく、また連休がないので1日だけの休みは体力温存に充てることになってしまったということもある。
その後、色々あってもうこんなバカなことをやる気力も体力もなくなったのだが、こういう理由づけでもしないと外に出ないので、なんとか無理やり外出するようにした。
相次ぐ異動で職場環境も変わり、会社の中での位置もこれ以上上がることはないと思えるところまで来たので(地位が上がったのではなく、上がれる見込みがなくなったということ)、もう好きなことをやろうというか、有休完全消化することを当然のこととして、んじゃもうあちこち行って、若い頃に思い付いた(元のアイデアは人さまのものだが)全国制覇をやってしまおう、いつまでも考えていて実行に移さないで悶々としているのはばかばかしい、ということになり、3年前からまた全国競輪場巡りを再開した。
前置きが長いな。。。
で、計画立ててみたら飛行機使えば日帰りで行けそうだったので、大分まで行ってきた。
数年前に新装なったとかで、大変きれい。しかし敷地全体が狭い。行き止まりがあって、施設をぐるっと回れない。もともとが戦後復興の費用を庶民から吸い上げるために当時の通産省の小役人が考え出したギャンブルだから、施設は狭いところが多い。こういう風に貧弱でも、娯楽の少なかった当時は金が集まったのだろう。
keirin.jpで色々調べて、飛行機で大分まで行き、亀川古市(ふるいち)でバスを乗り換え、照波園(しょうはえん)で下車するとそこが競輪場。
さすがに記念競輪ということで、気合も入っている。来場者には先着でプレゼントがあるし、レースの合間には吉岡稔真と大分在住の元Jリーガーとのトークショーなどなど。
さすがは日本一の別府温泉が近いだけあり、場内に「競輪温泉」なる浴場まである。託児所もあり、小さい子どもたちを預けて、若いオトーサンオカーサンが楽しんでいたり。
しかし、飯食うところが少ない。普段は5軒もあれば足りるのだろうが、こんだけ人がいると、どこも混んでいる。
レースは、全然当たらず。まぁ行くことが目的なので、当たらなくてもいいのだ。
テキトーなところで切り上げ、別府駅までバスに乗る。
駅前は、いかにも地方都市という感じかと思ったら、温泉街なのでホテル・旅館多数、飲み屋街多数。あまり温泉町に行ったことがないので、夜の楽しみというやつにあまり興味がない、というかよく分からない。そうか、大人の男というものは、温泉街に来たら、夜はスナックとかキャバクラとか行って楽しむのか、そうか。
空港降りてから気がついたのだが、立命館アジア太平洋大学というのがあるらしい、というか、ある。海外からの留学生が多いとかで、町中あっちこっちに外国語が書いてある。
そういえば、この大学出身の奴が会社にいたが、英語ペラペラでかつ優秀な奴であった。
ココといい、国際教養大学といい、これからの日本はこういう東大早稲田慶応をヒエラルヒーのトップとする序列からは別のところの人材が動かしていくのかもしれない。いや、それは大げさか。
また、バスで別府駅まで行く途中に港を通るのだが、宇和島行きのフェリーというのがあると初めて知った。帰宅してから調べてみると、たしかに大分から愛媛は近い。こういうフェリーに乗ってみたいなぁと思ったが、特に旅のルートにもならないから、定年過ぎて会社にも勤められなくなり、行き場がなくなったときには乗ったら楽しいかもしれない。
まぁそんなことはどうでもいいのだが、町中をのんびり歩こうにも時間はなく、駅前に温泉があったが、入るには微熱が続いていて今一つなので断念しておとなしく空港まで戻り、まっすぐ帰って来た。
帰宅したらもう22時過ぎ。この日はおとなしく寝ました。
これでやっと42場までたどり着いた。あと8カ所か。50場あったとはいえ、1年で回るのは無茶だが(でもやった人がいる)、10年以上かけるようなおおごとでもない。月に1カ所でも3、4年でできるようなことだといえる。
自分で一度決めたはずなのに、実行に移せないというのは、自分に負けたというのだろうか。
写真は、乗ってないけど別府駅と、駅前にある市営?の温泉。200円だとか。
それにしても、こういうことは、時間と金と体力が必要。なんでこんなバカなことやってるんだろうなぁと思うけども、始めちゃった以上はとっとと終わらせればよかったのである。
始めたくせに、「金がなくて遠出できないや」とか、「会社のスケジュールが・・・」とか言っているのは、ようは決め方が浅く、本当にやる気はないんだろうと思う。
151541
さて。
体調イマイチだなぁ、と思いながらも朝5時半に起き、必死の思いで歯を磨いて何も食わずに出かける。
全国競輪行脚の旅、というか、要は全国にある競輪場を全部回ってみたい、という無駄かつバカなことを考えてから早幾星霜。
当時は50場あった競輪場も、門司、甲子園、西宮、花月園、大津びわこと閉鎖され、今は45場になっている。ほかにも広島とか閉鎖の話も出ていたりする。
まぁそりゃそうだ。地方自治財政に寄与するために公営ギャンブルがあるので、持ち出しになるようでは意味がない。
行くたびに思うが、どこに行っても年寄りばかりが目につく。60、70の年寄りか、障害者年金もらっているような人(車椅子に乗ってたり)がメインの客層。関東近郊では、まだ昼間でも人はいるが、しかしそういう人たちは何をやっているんだろう、と思う。
それはともかく。
記録をみると、競輪場に行き始めた頃から4年で23場回っている。ところがその後がっくりとペースが落ち、次に行くまで6年間あいている。原因はわかっているのだ。当時の職場はシフト制で、翌月の勤務が当月の末にならないと決まらず、遠出しようにもスケジュールが立てにくく、また連休がないので1日だけの休みは体力温存に充てることになってしまったということもある。
その後、色々あってもうこんなバカなことをやる気力も体力もなくなったのだが、こういう理由づけでもしないと外に出ないので、なんとか無理やり外出するようにした。
相次ぐ異動で職場環境も変わり、会社の中での位置もこれ以上上がることはないと思えるところまで来たので(地位が上がったのではなく、上がれる見込みがなくなったということ)、もう好きなことをやろうというか、有休完全消化することを当然のこととして、んじゃもうあちこち行って、若い頃に思い付いた(元のアイデアは人さまのものだが)全国制覇をやってしまおう、いつまでも考えていて実行に移さないで悶々としているのはばかばかしい、ということになり、3年前からまた全国競輪場巡りを再開した。
前置きが長いな。。。
で、計画立ててみたら飛行機使えば日帰りで行けそうだったので、大分まで行ってきた。
数年前に新装なったとかで、大変きれい。しかし敷地全体が狭い。行き止まりがあって、施設をぐるっと回れない。もともとが戦後復興の費用を庶民から吸い上げるために当時の通産省の小役人が考え出したギャンブルだから、施設は狭いところが多い。こういう風に貧弱でも、娯楽の少なかった当時は金が集まったのだろう。
keirin.jpで色々調べて、飛行機で大分まで行き、亀川古市(ふるいち)でバスを乗り換え、照波園(しょうはえん)で下車するとそこが競輪場。
さすがに記念競輪ということで、気合も入っている。来場者には先着でプレゼントがあるし、レースの合間には吉岡稔真と大分在住の元Jリーガーとのトークショーなどなど。
さすがは日本一の別府温泉が近いだけあり、場内に「競輪温泉」なる浴場まである。託児所もあり、小さい子どもたちを預けて、若いオトーサンオカーサンが楽しんでいたり。
しかし、飯食うところが少ない。普段は5軒もあれば足りるのだろうが、こんだけ人がいると、どこも混んでいる。
レースは、全然当たらず。まぁ行くことが目的なので、当たらなくてもいいのだ。
テキトーなところで切り上げ、別府駅までバスに乗る。
駅前は、いかにも地方都市という感じかと思ったら、温泉街なのでホテル・旅館多数、飲み屋街多数。あまり温泉町に行ったことがないので、夜の楽しみというやつにあまり興味がない、というかよく分からない。そうか、大人の男というものは、温泉街に来たら、夜はスナックとかキャバクラとか行って楽しむのか、そうか。
空港降りてから気がついたのだが、立命館アジア太平洋大学というのがあるらしい、というか、ある。海外からの留学生が多いとかで、町中あっちこっちに外国語が書いてある。
そういえば、この大学出身の奴が会社にいたが、英語ペラペラでかつ優秀な奴であった。
ココといい、国際教養大学といい、これからの日本はこういう東大早稲田慶応をヒエラルヒーのトップとする序列からは別のところの人材が動かしていくのかもしれない。いや、それは大げさか。
また、バスで別府駅まで行く途中に港を通るのだが、宇和島行きのフェリーというのがあると初めて知った。帰宅してから調べてみると、たしかに大分から愛媛は近い。こういうフェリーに乗ってみたいなぁと思ったが、特に旅のルートにもならないから、定年過ぎて会社にも勤められなくなり、行き場がなくなったときには乗ったら楽しいかもしれない。
まぁそんなことはどうでもいいのだが、町中をのんびり歩こうにも時間はなく、駅前に温泉があったが、入るには微熱が続いていて今一つなので断念しておとなしく空港まで戻り、まっすぐ帰って来た。
帰宅したらもう22時過ぎ。この日はおとなしく寝ました。
これでやっと42場までたどり着いた。あと8カ所か。50場あったとはいえ、1年で回るのは無茶だが(でもやった人がいる)、10年以上かけるようなおおごとでもない。月に1カ所でも3、4年でできるようなことだといえる。
自分で一度決めたはずなのに、実行に移せないというのは、自分に負けたというのだろうか。
写真は、乗ってないけど別府駅と、駅前にある市営?の温泉。200円だとか。
それにしても、こういうことは、時間と金と体力が必要。なんでこんなバカなことやってるんだろうなぁと思うけども、始めちゃった以上はとっとと終わらせればよかったのである。
始めたくせに、「金がなくて遠出できないや」とか、「会社のスケジュールが・・・」とか言っているのは、ようは決め方が浅く、本当にやる気はないんだろうと思う。
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