2010/8/21 「まずはフツーをきわめなさい」
2010年8月21日 読書 コメント (2)
ずいぶん前のことだが、新宿ゴールデン街の「ガルガンチュワ」という店に連れて行かれて和気藹々と飲んでいるとき、「フツー」という言葉に過剰反応したバカがいて、「なんだフツーって、なんなんだよふつーって」と激怒したあげく、人にたばこの煙を思いっきり吹きかけて(殴りたかったんだろうがそこは我慢したらしい)
去っていった奴がいた。
そいつは早稲田大学第一文学部東洋哲学専攻を除籍になったあげく、ワープロ打って(売って、ではなく)暮らしていたが、ほかのどこかでも問題起こして警察に逮捕されそうになったり、難聴者の団体にけんか吹っ掛けているらしい。
フツーに結婚して子供作って暮らしていくことがフツーなのに、そのフツーができない人たちは片輪なんでしょうか。というか、フツーの生活を送ることがどんなに難しいか。
人よりも目立とうとか、他人のしていないようなことをしようとしたところで、そんなものは無駄な努力なのである。
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去っていった奴がいた。
そいつは早稲田大学第一文学部東洋哲学専攻を除籍になったあげく、ワープロ打って(売って、ではなく)暮らしていたが、ほかのどこかでも問題起こして警察に逮捕されそうになったり、難聴者の団体にけんか吹っ掛けているらしい。
フツーに結婚して子供作って暮らしていくことがフツーなのに、そのフツーができない人たちは片輪なんでしょうか。というか、フツーの生活を送ることがどんなに難しいか。
人よりも目立とうとか、他人のしていないようなことをしようとしたところで、そんなものは無駄な努力なのである。
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コメント
普通というのは、この世にある幸せなものを、素直に受け取る事で、実はこれが意外に難しいのだと思います。
僕のような仕事をしていると、新しいお店や会社を作るときに「封筒くらいはオリジナルでかっこ良いものにしたい」という普通のすごさを分かっていないオーダーがしょっちゅうあります。
封筒というのは専用の機械で何万枚と大量に製造された「普通」のものが出回っているから「安い、そこいらにあるもの」になるわけでして、これをオリジナルで金型から起こしてつくるとなると、必要でもないのに何千枚も作って、それでも一袋が何百円ということになります。
そういう話は、新たに企業を興すとか、そういう時にはいつも出てくる話です。いったい何回この話をしたことか。
「封筒みたいな、そんじょそこいらにあるものだから、大したことはないだろう。」という思いこみがあるんですよね。紙にしても、大量に作るからこそ「ありきたりな色の紙」しか使われていないわけです。真っ赤な封筒が山のようにあっても、それは在庫にしかならないですし。
どうしてこう、「他の人とちょっと違ったことをしたい」と人間は思ってしまうんでしょうか?
まぁ、そういうご要望も考えて、封筒に印刷するロゴのデザインに凝ってみたり、ひとことメッセージを入れたりということを提案して、その場はクリアしていくわけですけどもね。
もう本当に、「お洒落なショッキングピンクの封筒にしたいと思ってるんですよ。それか、ちょっと形の違う奴。」とか言う人がどれだけ多いか。フツーをバカにしたらあきませんって。
いや、ほんま。
いや、冗談はさておき、平々凡々とした並の幸せ、並の生活をするというのができない、ということはもうフツー以下ってことなんですねぇ。
この本では、なぜか、旅行することを勧めてて、世間を見るという意味ではたしかにいいかもなぁ、などと思いました。